養護者支援は車の両輪

池田直樹

1、高齢者虐待防止法は高齢者虐待防止及び養護者支援に関する法律との名称で、高齢者に対する虐待防止と同時に「養護者支援は車の両輪」と位置付けられてきています。平成23年に制定された障害者虐待防止法も正式名称には「養護者支援」が立法者意思として「車の両輪として位置付け」られています。

 これらの法律の名称を定めた国会の認識の背景には、虐待防止法という枠組みを作るときに、虐待される弱者(高齢者や障害者)を虐待環境から早期に救出するだけでは、虐待防止は解決しない。同時に将来虐待者になりうる養護者を支援する枠組みを政策として取り組んでいく必要があるという認識を持っていることを指摘することができます。

2、しかし、虐待防止法を見る限り、いずれも、養護者支援の条項はありますが、具体的な施策は定められていません。この背景には養護者とは、一般市民であり、特に何らかの施策対象とすべき指標が見つからないので、誰に対する施策を考えるのか、その制度設計が見えてこない、ということだと思われます。

 しかし、ここで動けないということでは、虐待状況に煮詰まって、クライシスコールが出されて初めて救出に動き出すことになり、防止にはなりません。

 養護者とは、単なる一般市民ではなく、「虐待のリスクをはらんだ市民」という枠組みでとらえることにより、対象を絞ることは可能と思われます。

3、私の関わった在宅介護ケースでは、高齢の母親が介護を必要としているが、他の兄弟はそれぞれ実家を離れ、遠方にいるときに、残った養護者が仕事を辞めて母の介護に専念する決意をし、その後在宅介護が難しくなり、より良い入所施設を探して母を入所させ、母に合わないと判断したときには全国情報の中で、遠方であっても評判の施設に入所させる。その養護者に虐待の意思はありません。しかし、客観的に見ればその養護者の行動は母親に安定した介護環境を提供したことにはならず、却って不安定な介護環境に晒し続けた、いわば独善的な養護者と見られてしまう。私は措置分離された、その養護者の相談を受けて、孤立した養護者の側に立つ弁護士として、一度は行政と対立した動きをしつつも、その養護者が母親第一に思う気持ちを尊重しつつ、まず養護者自身の生活の安定を図るために改めて定職に就いて、やがて行政の信頼を回復し、施設での母親との面会を実現していきました。

4、これは、ほんの1ケースに過ぎませんが、家族介護の場合、養護者は介護のプロではなく、高齢者に対する「放っておけない」という想いで独善的に動いてしまうケースは他にもあると思われます。在宅介護の場合、介護を引き受けた家族の思いを受け止めつつ、介護者側の集まりに参加するなどして、冷静な目を養ってもらう専門職の関りも必要です。専門家は「上から目線」ではなく、養護者の独善的な思い上がりを受け止め、修正を迫る信頼関係は必要と思われます。